繁造は、黙って松吉の話を聞いていた。その顔に安堵の色が浮かんでいる。
「おめえ、博徒になりてェのか」
「ああ」
「二度と堀切にゃァ帰らねェんだな」
「ああ」
「そんなら親子の縁もこれっきりだぞ」
「ああ」
繁造はふところを探って、小ぶりの櫛を取り出した。
「お母の形見だ。持ってゆけ」
松吉の手に押し付ける。古びてはいるものの地紋のある鼈甲の櫛は、百姓の女房が持つには身分不相応に見えた。
どんな謂れがあるのか、貧しくてもこれだけは手放すまいと、ヒサは宝物のように大切にしていたのだろう。
松吉はじっと櫛を見つめた。これ以上、父子が向き合っている用はなかった。
腰を上げようとすると、
「松・・・・・」
と繁造が呼び止めた。
「・・・・いや、なんでもねェ」
その日のうちに、窯の火を消した。
翌朝、父子は左右に別れた。これといった言葉はない。
土産代わりの炭を詰めた麻袋を背中にくくりつけて、松吉はひとり山を下りた。
~諸田玲子著『青嵐』より~
諸田玲子さん描く、清水次郎長のいちの子分、森の石松11歳のときのくだりである。自分では決して実行しないだろうが、こんな父親の愛の形も悪くない。ここに至るには相応の理由があるわけだが、わが子をヤクザにせざるを得ない親の気持ちとはどんなものだろう?子供からすれば「捨てられた」と思うに違いない。
悪い親の手本みたいなのに心惹かれるのは何故だろう?
やはり絶対実行しないだろうが「悪くない」父子像に
『子連れ狼』 の
拝一刀 と
大五郎 がある。昔はこんな出来事ががホントにあったのだろうか?分からないけどなぜか「悪くない」。
「悪くない」 は 「いいな」 ではない。何なのか分からないが気になる生き様である。
「いいな」と思えるのは
椎名誠さん と
岳さん (実在するので”さん”づけ)かなぁ。
『岳物語』 は独身時代と子供ができてから、両方の立場で是非読むべき一冊だと思う。ワシは独身時代なんでもなく読めたこの本が、子供ができてから読んだら涙なしでは読めなかった。椎名氏もいわゆる
"フツー" のお父さんじゃぁないと思う。どちらかというと不良の部類だろう。
おまけは
『銀河鉄道999』 の
鉄郎 と
黒騎士ファウスト 。この二人が親子と知った時は本当にたまげた。子供心に自分の父親が黒騎士だったらなぁ、と思ったりもした。
父親はちょっと悪くあったほうがいいのかな?
おしまい。
- 2012/02/07(火) 23:30:51|
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